社団法人・上方落語協会

上方落語協会の沿革

 

1957年(昭和32年) 上方落語協会結成される。会長は3代目林家染丸。会員は以下の通りの18人。
染丸(3代目)、笑福亭枝鶴(6代目松鶴)、桂米朝、旭堂小南陵(3代目南陵・講釈師)、桂福団治(3代目春団治)、桂小文枝(5代目文枝)、桂米之助、笑福亭松之助、桂我太呂(3代目文我)、桂小春、桂文光(文紅)、桂米治郎、円之助、笑福亭小つる(和多田勝)、福三郎、福郎、福柳、速達。
同年 京都市民寄席始まる(祇園八坂クラブ)
1961年(昭和36年) 協会会員名簿が出来る。この時点で31人となる。
1964年(昭和39年) なにわ芸術祭上方落語名人会始まる。
1968年(昭和43年) 笑福亭松鶴会長に就任。
1971年(昭和46年) 1080分落語会(朝日放送開局20周年記念)に56人の協会員が出演。
落語ブームがこの頃より始まる。
1972年(昭和47年) 島之内寄席始まる。
1973年(昭和48年) 千里繁昌亭始まる。
同年 2代目枝雀、4代目福団治、5代目枝鶴が角座で襲名披露。
1975年(昭和50年) 島之内寄席、ダイエー京橋店に移る。
1977年(昭和52年) 桂春団治、会長に就任。
1981年(昭和56年) 笑福亭松鶴、紫綬褒章受章。この年に協会員数が100人を突破。
1982年(昭和57年) 上方落語協会25周年記念パーティー開催。
1984年(昭和59年) 桂小文枝、会長に就任。
同年 島之内寄席、料亭「暫」に移る。
1986年(昭和61年) 6代目笑福亭松鶴死去 68才
1987年(昭和62年) 桂米朝、紫綬褒章受章。
同年 島之内寄席、心斎橋・CBカレッジに移る。
1991年(平成3年) 第1回上方はなし彦八まつり、生國魂神社境内で開催される。
1994年(平成6年) 露の五郎、会長に就任。
1996年(平成8年) 桂米朝、重要文化財保持者(人間国宝)に認定される。
同年 大阪府立上方演芸資料館(ワッハ上方)がオープン。
島之内寄席、ワッハ上方レッスンルームに移る(12月)。
1997年(平成9年) 桂文枝、紫綬褒章受章。
1998年(平成10年) 上方落語協会40周年記念パーティー開催。
同年 桂春団治、紫綬褒章受章。
2000年(平成12年) 露の五郎、紫綬褒章受章。
2003年(平成15年) 桂三枝、会長に就任(7月)。
同年 桂文枝、旭日小綬章受章。
2004年(平成16年) 桂春団治、旭日小綬章受章。
同年 社団法人化して正式名「社団法人上方落語協会」になる(8月)。
同年 桂三枝、社団法人上方落語協会会長に就任・第2期目(8月)。
2005年(平成17年) 島之内寄席、ワッハ上方ホールに移る(1月)。
2006年(平成18年) 桂三枝、会長に再選・第3期目(6月)。
同年 上方落語協会悲願・初の定席「天満天神繁昌亭」始まる(9月)。
同年 桂三枝、紫綬褒章受章。
同年 露の五郎兵衛、旭日小綬章受章。
2008年(平成20年) 桂三枝、会長に再選・第4期目(6月)。
同年 協会員数が200人を超える(12月)。
2009年(平成21年) 天満天神繁昌亭入場者数50万人達成(10月)。
同年 桂米朝、文化勲章受章。
2010年(平成22年) 桂三枝、会長に再選・第5期目(6月)。
同年 桂文珍、紫綬褒章受章。
2011年(平成23年) 島之内寄席、トリイホールに移る(1月)。
同年 内閣府より、公益社団法人の移行認定を受ける(3月)。
同年 「公益社団法人上方落語協会」に移行登記(4月1日付)。
同年 天満天神繁昌亭が開場5周年を迎える(9月)。
2012年(平成24年) 上方落語協会会館が竣工(4月26日)。
同年 桂三枝、会長に再選・第6期目(5月)。
同年 林家染丸、紫綬褒章受章。
2013年(平成25年) 天満天神繁昌亭入場者数100万人達成(8月)。
2014年(平成26年) 六代 桂文枝、会長に再選・第7期目(5月)。

 

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