上方落語協会の歴史

上方落語協会ってどんなとこ?

 上方落語協会の沿革はコチラ

 団体概要

いつからあるの?
上方落語協会は1957年(昭和32年)4月に、わずか18名で発足しました。
当時の発足の案内状には、『(前略)この度、関西在住の落語家が一丸となり「上方落語協会」を結成、互いに研究錬磨を以って上方落語の発展を目ざし全員精進いたしますことになりました』とあり、染丸・枝鶴・米朝・小南陵・福團治・小文枝・米之助・松之助・我太呂・小春・文光・米治郎・円之助・小つる・福三郎・福郎・福柳・速達の連名が記載されています。

2004年(平成16年)8月25日、法人化され、社団法人上方落語協会になりました。その後、公益法人制度改革関連3法の施行を受け、2011年(平成23年)3月、内閣総理大臣より公益社団法人の認定を受け、同年4月1日、公益社団法人上方落語協会となりました。


どんなことをしてるの?
上方(関西)は江戸(関東)と違って、戦後60年にわたり落語会をする定席の小屋はありませんでした。
その為、噺家は個々に落語会を運営していかなければなりません。 発足当時は、落語を盛り立てていこうという事で噺家らが一丸となり、落語会の企画・運営に努めてきました。
現在は、協会主催落語会として昭和47年から続けられている【島之内寄席】を中心に、各種市民寄席・ホール寄席を企画・運営しています。また、噺家によるおまつり【彦八まつり】は、落語家のファン感謝デーとして毎年9月に催され、沢山のお客さんで賑わっています。平成18年9月悲願であった落語専門の定席「天満天神繁昌亭」が開設されました。いつ行っても落語を楽しむことができる劇場が上方にも誕生したのです。毎日昼夜公演をしています。


協会員って何人いるの?
 平成26年9月1日現在、244名(落語家230名、三味線14名)です。


上方落語ってどんなもの?

上方落語の成り立ち
落語というものが一芸として世に出たのは、今から約300年前、江戸時代中期と言われています。
上方では京都の露の五郎兵衛・大阪の米沢彦八が多くの人を前に道端に舞台を設けて自作の噺を披露し、銭を稼いだ『辻咄』と言うものが落語の起源であります。


上方落語の特徴
落語は一人で座って演じる芸です。台詞だけで物語を展開し、扇子や手拭を使ってあらゆるものを表現したりもします。また、上方落語だけに使われる道具に“見台・小拍子・膝隠し”と言う物があります。これらは、演者が前に置く小さな机・小さな拍子木・低い衝立のようなものです。小拍子で見台をたたいて場面転換に用いたりします。他にも上方落語には“はめもの”という演出効果があります。これは、噺の最中に入れる効果音のようなもので、これが入ることにより噺が盛り上がりを見せるのです。詳しく説明すればきりがありませんが、大きな特徴はこの二つです。


このサイトに掲載された記事・写真の無断転載を禁じます。肖像権とリンクについての詳細は こちら 。
©公益社団法人・上方落語協会